「ただいまー」
「あ、おかえりー。ご飯ならできてるわよ」
寒い中家に帰ると、暖房の効いた部屋で真琴がぬくぬくとこたつむりをしていた。
世間の会社は大体仕事を始めているが、保育園はまだ冬休みだ。
「いつまでだっけ、冬休み?」
「んー? えっとねぇ」
壁に掛かっているカレンダーを見て、真琴が笑っていた。
指さしたのは、10日近く先の日曜日。
「あたし、仕事らしい仕事は家の中でできることばっかりだから。
冬休みの宿題みたいなもんだけどねー」
「こらこら、仕事と宿題を一緒にするなよ」
こつんと頭を叩くと、真琴と同じようにカレンダーを見た。
一週間もまだ休みが続くのかと思うと、改めて羨ましい。
しばらくすると、名雪も帰って来た。ついでに舞まで。
「……ただいま」
「おじゃましますだろっ」
「あらあら、おかえりなさい」
エプロンで手を拭きつつ、キッチンから秋子が出てきた。
まったく、この人はいつものことながら何が何だか分からない。
その前に、いつからいたのか。
「秋子さん、あたしのおでんどうだった?」
「よくお出汁が染みてるわね。おでん免許皆伝よ」
「いやったぁー!」
両手を上げて喜ぶ真琴。そもそも何の免許なのかも分からない。
だが、真琴と舞はハイタッチで応じ合うと、何事もなかったかのように舞がテーブルに着く。
舞が無言のまま、テーブルにちょこんと座っているのを見ると、後ろからチョップをかまさずにはいられない。
パン屋で働いている彼女は、時折こうして──
「今日はコッペパンとレーズンパン」
残ったものを持ってきてくれる。一度、海外の大学にいる佐祐理まで送ろうとしていたので全力で止めた。
店主にバレると後で色々大変なので、実家に持って帰っている設定だそうだ。
バレバレなのは想像に難くないが、いつも買っているところなので勘弁を頂くことにする。
しかし……おでんか。
おでんとパンか!
「なんでこんなタイミングで持ってきてしまうんだ舞はっ!」
「私……おでんだって知らなかった」
話がこじれる。この辺で止めておこう。
そもそも論として、舞がどうして我が家のご相伴に与ろうしているのか……理由はとっても単純明快だ。
『帰り道、舞と名雪がたまたま会った』、これくらいのことだろう。
それで、話が弾んだ末に家まで来てしまう、と。
舞ならあり得ることだし、その後名雪が「じゃあ、ご飯でも」となる状況もはっきり分かる。
まるで目に浮かぶようだ。
そして、水瀬家──水瀬秋子は、その程度では一切動じない人だ。
「私もご飯〜」
名雪が呑気にぱたぱた洗面所に歩いて行く。
こたつからむずむずもぞもぞ脱出した真琴も、ダイニングからキッチンに抜けて、おでんを出すのを手伝う。
昔は随分、いや今も充分にじゃじゃ馬だが、おしとやかさというか、女性らしさが出てきた。
これも、多種多様な女性が身の周りにいたおかげだ。
「ありがとな、舞。名雪も」
「ふぇ?」
なんとはなしに、礼を言う。舞も名雪も首を傾げていたが、まあそれでいい。
運ばれてきた食事と、この寒い中ではありがたい熱燗を前にして、舞に徳利を出す。
「俺より歳上なんだろう? ちょっとでいいから付き合ってくれよ」
「……分かった」
「ぶー、あたしだってお酒の一杯や二杯飲めるわよ!」
ヤキモチを焼いたような真琴の声。予想通りびしっとおちょこを出してきて、苦笑する。
舞には悪いが、先に注ぐ相手は真琴だ。ほんのり黄色味を帯びた液体を注いでやると、真琴は椅子にふんぞり返った。
「うふふ、よきにはからえ」
「全然様になってないな……ほら、舞」
感想らしいは感想はナシで舞に酒を注ぐと、真琴が危うく癇癪を起こしかけた。
そろそろやりすぎたかな、と真琴に盃を出す。
「ほら、乾杯だ」
「はいはい。まったくあたしがいないとどうしようもないんだから」
ちん、と軽い音。今の軽快な乾杯で、その発言はチャラにしておこう。
てひひと顔を綻ばせて熱燗を頂く真琴。割とすぐに頬が赤くなり、ふにゃんと熱っぽく見つめてくる。
「美味しいねー」
「ま、近所のスーパーで売ってるにしちゃ上出来だな」
舞はちまちまと飲み続けている。名雪が物欲しそうにしていたので、真琴の二杯目と一緒に注いでやった。
こうやって『家族』で過ごすようになってから、もう大分過ぎているような気がする。
でも、この某国民的アニメもどきの『結婚生活』が始まるなんて、高校の時は思いもしなかった。
「おっと電話だ。ちょっと待っててくれよ……」
携帯がバイブ音を鳴らし始めたので、一度席を立って電話に出る、
果たしてその相手は、北川だった。
「何だ、お前か。突然どうしたんだ?」
「遅れて悪いな、あけましておめでとう。いやな、初仕事が終ったから飲みに……って、もう帰ってるのか」
他の家族が会話しているのが聞こえたらしい。そのことを伝えて、一度保留にする。
秋子に聞いてみると、当然のように『了承』が飛び出た。保留から戻して、そのことを話す。
「やっぱり秋子さんだぜ! じゃあ、飯代くらいは出すからよろしくな」
すぐに、ツーツーツーと通話を切られる。
ダイニングに戻ってしばらく、おでんを摘みながら酒を酌んでいた。
半分弱食べた辺りでチャイムが鳴り、北川が折り詰めをぶら下げてやってきた。
もう二次会すら終ったかのようだ。
「ほら、真琴ちゃん。寿司を持ってきたぞー」
「わぁーい潤ありがとうー!」
「人の嫁を餌付けるなお前も釣られるなっ!」
ぽかっぽかっと頭を殴り、キレイな突っ込みを決める。
頭を押さえている食欲魔神二名は、舞の優しい手によって救われた――
ただ、ほんのり小動物感覚で慰めている感は否めない。
「うぐぅ、ひどいよぉ」
「あゆの真似をしてもダメだっ!」
「ちぇーっ。あっ、お酒あっためてくるね」
徳利が冷えていたのを触って確かめた真琴は、ぱたぱたキッチンへ歩いていった。
その後ろ姿を、目で追う。
北川が溜め息と共に、ダイニングの空いた席に着いた。
「香里のことはいいのか?」
「いつもの手段だよ、『いやぁフグ田君の家ですっかりごちそうになっちゃってねぇ』って言えば許してくれるさ。もちろん声は若本則夫でな」
「えぇーっ、森本レオの方が渋いよー」
「話の途中から我が物顔で混ざろうとするな、な?」
それはそれとして、明日の夜は香里がどんな顔をするか、楽しみだ。
二本目の熱燗がやってきて、おでんを肴に日本酒を啜る。
飯があるのも嬉しい、腹に溜めつつ酒を煽れば、明日に優しい。
「もう、あんまり呑みすぎないでね」
「ふっふー、あたしは明日もお休みだからいいのー」
名雪の苦笑いに、真琴がダイコンを頬張りながらはふはふ言う。
何年も経ってしまえば当たり前の光景だが、もし高校生の自分が今ここにタイムスリップしてきたら、一体どう思うだろうか?
一人、頭の中で考えてみる。
『なんだ、俺はまだここで世話になってるのか』
『うるせぇ、マイホーム資金を貯めてるんだよ』
――何だ、あんまり変わらない。
多分こんな大人になるんだろうなー、とぼんやり考えていたままの現実。
真琴がいて、皆瀬家があって、舞やあゆや栞がいて、そして仕事から帰ったら、北川と一杯やる。
日常こそが夢で、今、それが目の前にある。
「みんな、ありがとう」
お猪口を置いて頭を下げた。みんなの目がキョトンとする。
少し間があって、真琴が背中をバンバン叩いてきた。
「あたしの旦那なんでしょうー? 頭下げるなんて『らしく』ないわよぅ」
すっかり笑い上戸になった彼女が、空っぽになった徳利を振り回していた。
その様子を見て、舞が一言。
「私は、今こうしてみんなと一緒にいるの……嫌いじゃない。
だから、私は、自分の意思でここにいる。あったかいから……はちみつくまさん」
長い髪を結った、人として一回りも二回りも大きくなった舞が、ちょっぴり恥ずかしげに言った。
珍しく饒舌になった舞に続いて、北川も話し出す。
それはもう、そろそろ十年になろうかという付き合いの中で生まれた、気軽な一言だった。
「結局、お前が中心になってみんなを引っ張ってるってことだよ。
気にすることはないさ、礼なんか言われなくたって、オレ達はお前の友達だよ」
「そうよ。嫌なら結婚なんてしないもん♪」
真琴がずずいと身体を乗り出して、左手を見せてくる。
そこにキラリと光るのは、銀色の指輪。ボーナスをはたいて買った、二人の記念だ。
「あーはいはいごちそうさまだよー。オノロケは他でやればいいんだよー」
名雪がぶすっと膨れつつ、戸棚へ引っ込んでいく。戻ってきた彼女は、お椀を小脇に抱えていた。
スッ、と差し出してくる。どうにも呑みたいらしい。
「おいおい大丈夫か?」
「明後日は真琴とあゆちゃんの誕生日パーティーなんだから、前祝いだよ」
毎年、六日と七日の交代で開いている誕生日パーティー。
今年はあゆに合わせて七日だ。大量のたい焼きは既に発注してあるし、ケーキの仕込みも、もう始まっている。
さてさて、今回はどんなドタバタになるのか――毎回ハプニングばかりのパーティーなのだから。
まるでジュースみたいに酒を飲んでいた名雪が、早速ふらふらになった。
そろそろ解散の時間が迫ってきたようだ。
「私、そろそろ帰るね。『お母さん』、待ってるから」
「オレも行くぜ。度が過ぎると家に入れてもらえなくなるからな」
舞と北川が、それぞれに席を立った。既におでんの皿は空になっている。
最後の一口を呑み終ると、先にコートを着始めていた舞へ、パンの礼を言った。
「そこまで送るよ。お前は一人で帰れるな?」
「い、いや、帰った後家に入れないかも」
携帯を差し出してくる。怒りマークだらけの香里が『もうっ、知らない!!』とおかんむりだった。
実におそろしや。
「じゃ、達者でな。行くぞ舞。真琴も来るか?」
「行く行くーっ!」
哀れなり。仕方がないのでメールを打つことにした。
例によって若本ボイスで『恩に着るよ、フグ田君』とか言い出したので一発デコピンしておいた。
秋子の笑みに見送られて、四人は家を出る。
粉雪が深々と舞う、静かな夜だった。
「この四人っていうのも珍しいね」
「ああ、名雪が舞と合ってたから、不思議な組み合わせになったんだよな。
そうだ舞、佐祐理さんは元気にしてるのか?」
真琴の声に頷きつつ、舞に振り向く。
もう、彼女がアメリカに飛んでから何年だろう。
たまの帰国で打ち上げをして、またすぐに去ってしまう。
忙しさの塊みたいな人だが、舞に会う時はいつも笑顔だった。
「うん、平気。最近よくメールしてる」
「しっかし、お前が携帯なあ。時代は変わったもんだ」
笑っていると、チョップを受ける。
その様子を見て、真琴がカラカラ笑った。
「今時ケータイなんて小学生でも持ってるわよ? ホント流行には疎いんだから」
「ほっとけ」
ざくざくと雪を踏みしめる中、十字路まで来た。ここでお別れだ。
二人には改めて、パンと折り詰めの礼を言う。
「舞、また一緒にご飯食べようね」
「うん……約束。今度は私がごちそうする」
真琴と舞が握手をする。そのまま手持ち無沙汰になったので、北川と握手をすることにした。
背中に哀愁が漂っている気もするが、きっと気のせいだろう。
「お前も、今度オレん家で飯食ってけよ。香里の料理、結構美味いんだぜ」
「ああ、ぜひ食わせてくれ。あとお前がどれくらい尻に敷かれてるのかも確かめたいしな」
うっせぇ、と彼は笑った。
そしてそこで、本当にバイバイだ。
「まったねー、舞、潤!」
「おう、真琴ちゃんも旦那とよろしくやれよー」
舞は大人しく帰ると思いきや、つんつん裾を引いてきた。
なんだなんだと耳を寄せてみると、とんでもない爆弾発言が飛んできた。
「……で、子供はいつ?」
「うるせぇ帰れ!」
舞はフッと微笑を浮かべると、今度こそ自宅へ向けてぱたぱた帰っていった。
隣で真琴がキョトンとしている。
「ねぇ、どうしたの? 舞に何言われたの?」
「気にするな、大したことじゃない」
ほんのり顔を赤くして、踵を返す。
その左手を、真琴はそっと握ってきた。
「あったかぁい」
「その代りお前は冷たいな」
二人分の足音が、しゃくしゃくと響く。
それ以外の音がまったく聞こえない、静かな夜だった。
「ね、ね。こうして見るとキレイよね」
真琴が、指輪を電灯に透かして見た。
キラキラと光って、真琴の白い指と一緒に輝いていた。
「……うふふっ」
「なんだよ急に笑い出して」
何となく言いたいことは分かるが、敢えて仏頂面で聞いてみる。
すると、真琴はやにわに腕を絡めてきた。
「だーいすき。結婚して良かった」
「なっ……いつからお前そんなにストレートになったんだよ!?」
この数年で、真琴のいたずらは非常に高度化している。
もう、太刀打ち出来るほどではなくなっていた。
「さぁ? 誰かさんを困らせたいからじゃないかしら?」
「ぐぬぬ……それなら、こうしてやる」
えっ、と真琴が声を出した瞬間に、彼女の身体を抱き寄せた。
そのまま、唇を重ねた。
時間が止まる。雪が降り止む。
柔らかくて、ちょっと冷たくて、優しい味がした。
「んっ……ぷはっ、もう、ひどいわよぅ」
「いいだろ、これでおあいこだ」
ぷくっと頬を膨らませていたので、潰してやる。
そして、もう一度腕を差し出して、彼女の指を誘う。
「ほれ、行くぞ。今日は寒いから、一緒に風呂入ろうな」
「もっ、もう! 知らないっ!」
どうやら、反撃は大成功したようだった。
栗色の髪を撫でてやりながら、家路を急ぐ。
一瞬だけ止んでいた雪がまたちらちらと舞い始め、星空が暗くなる。
でも、二人の間だけは、雪も解けような熱さだった。
「えへへ」
「可愛いな、こいつ」
真琴の頬を、つんとつついてやる。
彼女は満面の笑みになって、左手を持ち上げてきた。
そこに光っているのは、同じ銀色の指輪。
それをくっつけあって、真琴は手を握って駆け出した。
「ね、明日金曜日でしょ。ものみの丘まで行こうよ!」
大好きな女の子が──妻となった女性が、子供みたいにはしゃいでいた。
頬をニッと上げた、次の言葉を聞く。
それが耳に入った瞬間、真琴の足に歩幅を合わせて一緒に走りだした。
「あたし達が出会った場所に、この奇跡をくれた場所に!」